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2017年7月

夏祭り(2017.7.31)

 ここ数週間非常に暑くなってきました。梅雨が終わり夏本番の様相ですが、この時期の風物詩である、盆踊りに行ってきました。

 3号が今年より、1・2号が通っていた保育園に移り初めての盆踊り!
 久々の保育園の盆踊りですが、3号にとっては初めての体験でした。櫓を組み太鼓や音楽に合わせ園児たちが踊る姿をみて可愛らしさもあり、愛くるしさもあり暑さを忘れさせてもらえる時間でした。
 そんな中、3号は・・・。恐れていた自体に。なんと、全く踊りません。
 小さいころから興味がないことには何もしないことが多く今回も3号にとっては、どうでもいいことだったようです。寂しい( ゚д゚)ポカーン
 親の盆踊りタイムになり、園児たちは園庭においてある自分の椅子で待っている時間に隣の友達と砂の掛け合いをしていて、そちらの方が生き生きしていました。
 日本の四季折々の行事を楽しむといった風情を持たせることは難しいと思う時間でもありました。
 
 卒園までにあと2回ありますので、楽しんで踊っている姿を見たいものです。
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最後に花火を貰って上機嫌です。
担当:伊藤

頼れるお医者様(2017.07.24)

先週一気に梅雨明けしましたが、関東地方は比較的雨の少ない梅雨の時期となりました。
一方で豪雨に見舞われた地域の皆様に御見舞申し上げます。


皆様はあるひとつの症状で、いくつものクリニックを渡り歩く結果になったということはありますか?
私、とある症状で3箇所渡り歩く羽目になりました(ρ_;)

  1ヶ所目 hospital ・・・いつもかかるお医者様で、「前回と同じですね」と一言。
            もちろん、前回と同じ薬を処方されました

 でも何となく、前回とは違うような気が・・・despair

  2ヶ所目 hospital ・・・「大丈夫です。最初の先生に処方された薬で治ります」

 症状が良くならないどころか、酷くなる一方。
 わらをもつかむ思いで、別の先生のところへ行ってみました。

  3ヶ所目 hospital ・・・「〇〇〇という症状です。この薬(最初に処方された薬)ではとても治りません」

 と。衝撃でした。でも、

  「今回違う薬を処方しますので、これを飲めば治ります」

 と、断言してくださいました。
 本当に治るか正直不安に駆られていたのですが、その様子が顔から見て取れたのか、

  「治らなかったら、私も困ります。大丈夫ですよ」

 と。思わず診察室で涙を流してしまいました weep 今思えば、少々恥ずかしい話です。


先生にとっては何気ない一言だったのかもしれませんが、私には救いの一言でした。
その時、これからはこの先生のところに来よう!! と心に誓ったのです。

言葉というのは、相手を安心させることも不安にさせることもできます。
「言霊」と言われるように、口に出す言葉を大事にしようと感じるこの頃です。


担当:飯嶋
 

父に感謝(2017.7.17)

先月の13日に父が他界しました。84歳でした。

私の実家は鹿児島県垂水市という所にあります。父、母、私、弟の4人家族です。

年に2回、病院で寝たきりの父と坐骨神経痛の母の様子を見に帰省しています。今回も3ヶ月前から飛行機の手配をして1011日の土日で鹿児島へ帰りました。

病院の先生からはいつ亡くなられてもいいように心の準備はしておいてくださいと言われていました。水しか飲んでいないと聞いていたのでもう会話もできないかもと覚悟をして行ったのですが、私の顔を見るなり「よぉ!」と右手を上げました。昨日から水以外の飲み物も口にするようになったということでした。話しかけると割とまともに返答するので安心していると突然「敏郎~胸を擦ってくれ」と言うのでびっくりしました。今までそんなことを頼まれたこともなかったので・・・・。

軽く擦ってやると「痛い!気持ちいい!」を何度も繰り返すので「どっちだよ!」思わず母と笑ってしまいました。「これならまだ大丈夫!」この時はそう思いました。

父は次の帰省まで待ってくれませんでした。11日にこちらに帰ってきて中一日の13日のAM1:00でした。死因は老衰とのこと大往生だと思います。

一昨日会ったばかりなのにこのタイミング!?まさかの展開に鳥肌が立ちました。私に会えて安心してしまった?のかもしれません。最後に会えて本当に良かったと思います。

そう言えば母には「今までありがとう」と何度も言っていました。自分はもう永くないということを自覚していたのかもしれません。

2003年、私の結婚式1ヶ月前に脳出血で倒れて、その後のリハビリもボイコット、介護で母の腰痛が悪化、自分で寝たきりを選択したようなそんな情けない父ですので文句は山ほどあるのですが、それでも「今まで頑張って生きてくれてありがとう」と言いたいです。自宅での車椅子生活9年、病院、施設での生活5年、相当辛かったことと思います。

親がいなくなるとういうことは誰もがいつかは経験することですし、そうなった時の感情は人それぞれだと思います。それでも過去を振り返った時に親に対して思うことは「感謝」しかないということがよくわかりました。

いなくなってからでは感謝の気持ちは伝えられません。父に話せなかった分これから母には言葉で感謝の気持ちをしっかり伝えていきたいと思います。

 担当 平野

梅酒(2017.7.10)

 2015.7.6、2年前のブログで紹介させていただきました、我が家の初の梅酒のその後の報告が、一年たった昨年のこの時期にできませんでしたので、改めまして。

 実は、この梅酒は予想以上にうまくでき、一年たった6月に、梅を頂いた長野事務所の社員さんにお裾分けするとともに、家族全員であっという間に、飲みきってしまいました。

 ということで、昨年は前々年1キロだった青梅を、なんと4キロも頂ました。
 そして、梅ジュースと梅酒に挑戦。

いさんで、果実酒用ホワイトリカーを購入すべく酒屋さんへ。そこでびっくり!果実酒用ブランデーなるものを発見。ただ、ホワイトリカーの代わりに使えばよいことを教えていただき即購入。
 

そして、今年、6月開封。ブランデー梅酒美味しく頂いていますが、なかなか私の口に入りません。実は、妻と娘が気に入っていまして、私は少し遠慮しています。

 ところで、梅ジュースですが、なんと大失敗。カビがついてしまい敢えなく処分(梅をくださった方にごめんなさい。)。

 そして、今年も社員から4キロ近い青梅、そして赤紫蘇と梅を砂糖漬けしたカリカリ梅と梅シロップを頂きました。

Photo
左から
今年の梅ジュース
今年の梅酒×2(今年はホワイトリカーです。)
昨年のブランデー梅酒 です
いろいろ楽しみながら、この鬱陶しい梅雨を乗り切っていきますよ。


担当:三浦修

最近の思い(2017.7.3)

このblogが公開される頃には東京都議選の結果が出ていますね。

未だに尾を引いている加計学園問題で自民党は負けているのか…

政治とはいったい何を目的に行われるものなのか。

多面的すぎて到底私の頭では整理しきれませんが、ふるさと納税の面から少しだけ、日頃考えていることをひっそりと記します。

私は北海道の東部に位置する上士幌町という小さな小さな小さな過疎地で生まれ育ちました。

道産子でも知らなかった上士幌町という名が全国に知れ渡ったのはふるさと納税がきっかけです。

平成20年はわずか 5万円だった納税額が平成28年には20億円を越えました。

この貴重な納税額で上士幌町は人口を増やすことを明確な目的とし行動しています。

そもそもふるさと納税は生まれ育った故郷への恩返しが主な目的でしたが、今や地方創生の切り札だと思います。

政治家の仕事は国民と国民の財産を守ることと飯島勲氏は言っています。

 命と領土です。

その意味で人口の激しい減少には歯止めをかけねばなりません。

東京は黙っていても人口は増えるでしょう。

地方の人口を増やさねばなりません。

そのために政府は税制優遇で企業を誘致したり官庁の出先機関を地方に設置するなど様々な試みを実施しています。

私の考える地方創生は、地方にスーパーな学校をつくること。

その学校にはとびっきり優秀な教育者を超高給で雇い入れる。

その原資の一部にふるさと納税を利用する。

そもそも東京に人が集まる原因は東京の学校に進学してそのままいついちゃうからなんですよね。私もそうですけど。

ならば東京からでも行きたくなるようなスーパーな学校を田舎にバンバン作るのです。

難関国家試験合格に強いであるとか起業家を養成する特種な学校であるとか、卒業する部員の多くがドラフトにかかる野球部をもつとか。。。

その卒業生の内、何%かはまちにのこるでしょう。

はたまた何%かは戻ってくるでしょう。

加計学園ってそれになり得たのではないかと思ってしまいます。

このまま手を打たなければ896のまちが消滅してしまうのだそうです。

最近の愛読書は国盗り物語。

その中で斉藤道三は「この世の中で悪の最たるは才覚のないものが国主になること」と言っています。

政治家は民の代表、戦国の世でいう国主です。

他人の揚げ足ばかりとろうとしている政治家はもういりません。

どうか本気になって政治をしてくれる方々が都議になっていることを願います。

 

担当:吉田

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